雑記

半生を振り返ってみる

早15記事目にして、自分の中で熱い話題がなくなったので、自分の半生について振り返ってみたいです。

卒業旅行で5,000km四国、近畿を連続して軽で走破し、さらには富士山まで登ったり、約30カ国をバックパックで回ったタヌキの生まれを「だからかぁ」と面白がっていただければ、幸いです。

幼少期

中国地方の片田舎で生まれる

公務員の父に専業主婦の母の元に生を受けました。

当時の父の手取りは13万円。社宅に住んでいたので、なんとかやっていける日々でした。

 

「友だちはシールやおもちゃが買ってもらえるのに私だけ買えない」と強く思った記憶が今でも残っています。

今思えば、少ないお金の中、愛情をかけて、使うべきところに教育してくれてたと思います。

そして、ドケチ根性が養われたのはこの時期だと思います。

 

公園に行ったり、スキー、海遊びと外遊びにいっぱい連れて行ってくれてました。

 

こけても自分で立ち上がれ

母の教育方針として、何でも手助けをせずに、自分でできる子に育てたいという思いがあったらしく、丈夫に育てられました。

 

バイク乗りの血は父から

バイクに乗っていて、私がスクータだったため父の足の間に乗っていたため、警察に捕まった思い出がすごく残っています。

確か、私が後ろに座らずに、父の前側に座っていたのが、違反内容でした。

 

バイクに乗るのは全然怖くないのはこのときからの教育の賜物です。

 

小学校

小学校の時には根暗でした。

公園に行って本を読んでいるという内向さ。

さらには、外で遊ばずに家でずっと本を読み、1日1袋ポテチを開けていたので、大柄なこどもでした。

女の子の方が成長が速いので、卒業時にはすでに今と変わらない体系なのが幸いして、身動きとれなほどのデブではなかったのが、せめてもの救いです。

両親に毎週末アウトドアに連れて行ってもらっていたおかげです…

 

高学年ともなるとお昼休みには外で遊ぶようにという学校方針だったので、反抗して。友達と芝生でトランプをして、芝生を禿げさせるなんていう、こしゃまくれたガキでした。

 

暴力がカッコいいと憧れていた時代で、男の子に対してかなりのいじめっこでした。

今考えると越えちゃいけない線もあり、恥ずかしい時期です。

 

校長室によばれる

そして、最終的には喧嘩の最中に消火器を倒して、校長室に呼ばれました。

この事件をきっかけに心を入れ替え、更生しました。

父が少しヤンパパだったので、髪の毛はブリーチして、茶色といういかにもさは継続していますが…

 

中高生

中高一貫校受験

なんとなく友人が受験するということで受けたゆとり教育の取り組みで増えていた公立の中高一貫校に入学しました。

最後はくじ引きでうかるという緩い選考基準だったので、受験らしいことは何もしていません。

 

一応、国際化を謳っていた学校なので、在学中にはオーストラリアとシンガポールに修学旅行、中国語を履修、韓国に交換留学といろいろなことをさせてもらいました。

 

ケチ心で塾に通わない受験時代

さすがに受験をしたことがないのはまずいと高校1年生から受験勉強を始めました。

1日10時間とかがむしゃらに図書館にこもって勉強していました。

 

しかし、希望の国公立大学には受からず、数撃てば当たる大作戦で受けた関関同立に入学することができました。

 

大学生時代

大学デビュー 原動力は内向的な自分を変えたかった

大学デビューして、髪を染めたり、カットモデルをしてみたり、サークルを5つ掛け持ちして、10個くらいのサークルを経験したりと大学生活を楽しんでいました。

 

写真はカットモデル唯一の撮影モデルした時に化けさせてもらったやつです。

 

かなり人見知りをして、はじめてあった人とうまく話せないのがコンプレックスだったため、サークルに入りまくりました。

おかげで今は初対面でも緊張せずに生きていけるようになりました。

 

最終的に活動したといえるのは、陶芸部とフラメンコサークルです。

法学部に所属していたのですが、ゼミに入らず、卒論も書かず卒業できるというボーナス学部だったので、数少ない偏狭者として学部に友人がおらず孤立して生きていました。

 

休学・中国、フィリピンに語学留学

これまたコンプレックスを原動力に語学留学のため1年休学をしました。

単純に働きたくないということとこのまま就活したら大企業に入れないという思い込みがあったため、わざわざ休学して留学しました。

休学費用が1万円という破格の値段だったので、使ってみたいという単なる好奇心もありました。

 

このときに英語力が少しましになりました。

 

就職に失敗

結局は就活に失敗して、1社しか内定をもらうことができませんでした。

 

自己分析が足りていませんでした。

十分に大企業に入れる素養はあっただろうに自分をさらけ出すのが怖くて、まじめに就活しなかったんだろうという反省です。

 

上京

社会人1年目

中国人が経営する中小企業です。

30人くらいの大きさでまったく世間的に無名の会社ですが、新卒で22万円で9時17時30分定時に惹かれて入社しました。

あと通関士という枠で、法学部×英語×中国語といろいろ使えるかなという専門性を持ちたいと思っていたので、選びました。

 

2年目残業100時間

結局、終わり間際に残業時間100時間を超えるというふざけた業務体制になり、転職を決意しました。

そもそも70時間あたりから、ミスも増え、社長から叱られるということもなっていたので、かなり精神的に参ってしまっていました。

 

物心ついて人生で初めて人前で泣くという、会社で朝から号泣するなんていうこともありました。

今ではいい思い出です。

 

転職

そんなこんなで、残業が少ないという条件で外資の大きめの同業種に急いで、転職しましたが、これまた失敗。

立ち上げの部署に所属し、100時間を超える残業をまたもや経験することになりました。

 

結婚

2018年8月に結婚しました。

特に何も変わらないのですが、マリッジブルーにかかり、「好きに生きてやる」と普通二輪免許を取得しました。

そして、愛車のクロスカブを購入しました。

 

現在

ブログ開設なうです。

ブログのおかげで、「何か書くことないかな」と土日にカブに乗るきっかけになっているので、バイクを始めてよかったなと思います。

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